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「日常は小説よりも奇なり」

【考察】定期的精神的不安定性

私は定期的に、精神状態が著しく低下する時期が来る。

 

毎日の更新が途絶えたのもそのためであるが、

 

人に言わせればこれはおそらく「病んでいる」状態と言えるだろう。

 

 

 

小学生の頃から定期的に落ち込む時期というのはたしかにあった。

 

が、大学に進学し一人暮らしを始めてから、それが重症化したようだ。

 

 

 

小学校時代は気分は落ち込むことはあれど学校には通えていたし、何より帰れば家族がいて、一緒に笑えば楽だった。

 

これが起こる頻度も、正確に覚えているわけではないがそこまで多く無かった印象だ。

 

 

これが一人暮らしを始めて、頻度の面でも重症度の面でも1ランク上に上がったような感覚である。

 

頻度は、年に平均4,5回ほど。

6月後半から7月にかけては今のところ毎年皆勤賞だ。

 

具体的にどのような状態になるか、将来の自分がこのブログを音連れた時のためにも、

なるべく具体的に書いてみようと思う。

 

まずこの状態に陥る直前の特徴は、かなり充実した生活を送ってることが多い。

今回も、早起きしたり、読書をしたり、朝ドラを楽しみにしたり、

友人に言えば、

「いつの間に精神年齢の還暦を超えたのか」

と突っ込みがありそうな、実際少しあったが、

それでも私はこういう生き方が好きで、幸せであった。

 

このブログの執筆を開始したのも、ちょうどその時期にあたる。

 

しかし暫くして、現実はそれの障壁として立ち塞がっていることを知る。

 

具体的に言えば、

 

「今日は落ち着いて過ごしたいのに学校がある」

「家族に会いたいが、会えない」(家族は長野で、私は東京である)

「送りたい生活を送るためのお金がない」(これは最近アルバイト学生からフリーランス学生に方向を変えたことが大きく、メンタルヘルスの立場では快適この上ない一方で収入面での不安定性が大きい)

 

最後のものについてもう少し説明すると、決して私は毎日外食であったり、浪費家としての人生に憧れているわけではない。

 

強いて言えば毎月一万円ほどを書籍の購入に回したいが、

決して欲張っているわけではない。

現在は生活が厳しい状況で、特に食の面での最低限の充実が欲しい一方で、それができていないという意味である。

 

一日一食は食べたいが、それも危うくなってしまっていた時期も最近だ。

ましてや「栄養に気を使った食生活」は送れるはずもなく、栄養失調との戦いである。

 

しかし今月末、実家に帰ればすべてが解決する。

こういうときばかりは、自分をいたわってやろうと思う。

 

話は少し逸れたが、こうした障壁のある現実と理想の生活のギャップが、定期的精神的不安定性のラスボスであると言えよう。

 

ギャップにやられるのは、おそらくまだ捨てきれていない完璧主義の人格が影響していると考察できる。

 

いずれにせよ、残り約20日で私は帰郷し、

すべてが解決する。

幸福の象徴たる理想郷に身を置くことができる。