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「日常は小説よりも奇なり」

【考察】鬱り替わり

憂鬱という書く者すら憂鬱にさせる不思議な言葉。

 

 

 

いったい何なのだろう。

 

定期的に心を蝕んでは、また嵐の如く去っていく。

 

それはまるでロマンティックな恋愛のようで、または単に堕落のようで、

適切な距離を保つのはいつだって難しい。

 

だって気が付いた時にはもう、心の中に潜んで蝕み終えているのだから。

 

 

 

では私たちが考えるべきは、

「どうしたら入り込む余地を減らせるか」と、

「どうしたら受けるダメージを抑えられるか」

である。

 

対処法から見れば、自然災害の一つのようでもある。

 

正直な話、これの答えは分からない。

絶賛捜索中である。

 

強いて言えば、私はこれまで「限界までゲームに入り浸る」という戦略でコーピングを試みていた。

しかし、最近はゲームが一時間も続かない。

 

理由は分かっている。

「このゲームを極めても知らない人には凄さは伝わらない。しかも、データはいつか消える。」という事実に気が付いてしまった。

 

これに気が付いてから本能的にゲームを拒絶しているかのように、私の体は「ゲームをしている自分」に対して嫌悪感を示す。

 

その嫌悪感に対して今度はそんな自分に嫌悪感を抱く。

全く負のジレンマだ。

 

一番やった日は23時間、同じクエストを周回したこともある。

ロボットさながら、いいやそれ以上、現代のAI技術では到底太刀打ちできまい。

これは自己陶酔だが。

 

ゲームをしたいと思う時間はある。

しかし、その感情が少し引き波の如く、それに対する嫌悪感が押し寄せる。

 

いったいこれからどうしていこうか。

 

他にも読書、勉強などはあるがなんだかいまいちである。

私は深夜中、ゲームがしていたいのだ。

 

 

 

少し話がずれてしまった。

 

タイトルは「鬱り替わり」である。

 

先ほども言ったように、鬱とはある日の恋のような、即効性のある劇薬だ。

 

その時の感情は、現代最新科学をもってしても解明できないであろう程目まぐるしい変化を短時間の間に経験する。

 

次々と感情が移り変わる。

ある時は恋しく、またある時は憎く、それでいて無関心だ。

 

 

 

それでは果たして、私たちはこの呪縛から逃れる指南書を持ち合わせているだろうか。

 

残念ながら持っていない。と思う。

私はまだ20代で、世界を語るにはあまりにも若すぎる。

なので私の育った道にたまたまそれが無かっただけかもしれない。

 

しかし、それがあったら自殺者人口はもっと少ないはずである。

 

 

 

いつか、この目まぐるしき感情の移り変わりが科学的に証明され、正確な言葉で教科書に載るのだろうか。

 

人間とは時々、心秘の内に銀河を見せる。