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「日常は小説よりも奇なり」

【哲学】持たぬワインに嘆くより、今持つワインで祝杯を

今日は生き方に関する哲学である。

 

これは現在読んでいる名著「七つの習慣(スティーブン・コヴィー著)」にも書いてあったことであり、

 

私が大学で研究している「アドラー心理学(個人心理学)」とも繋がるものである。

 

 

 

 

「自分が持っていない物、手に入らないような物に嘆きながら生きるより、今自分が持っているものに感謝をして、大切にしていこう」

という考え方である。

 

 

 

 

確かにこれだけ聞けば当たり前だと思う方もいるかもしれない。

しかし、実践はなかなかに難しいのである。

 

 

 

 

やはり私たちはどうしても新鮮なものに目が行くし、すでに持っているものに対しての主観的価値は落ちていってしまう。

 

 

 

 

またこの考え方では、物でなくとも、例えば自分ではどうしようもないこと。

政治体制、過去、他人の態度など、

これに対して嘆いたり、文句を言って生きることは賢明でないといえる。

 

このようなことに嘆く時間があるのなら、

家族全員にLINEで一言「今日もありがとう」と打とうじゃないか。

これまでお世話になった人々のことを想って、感謝の感覚を磨こうじゃないか。

 

 

 

噂でしか聞かない高級ワインと、今手に持っているワインとを比べてその価値の高低に嘆くよりも、

 

今持つワインに感謝して、この十分幸せな生活に祝杯を挙げようじゃないか。

 

 

 

 

 

私はこの感覚を約2年ほど前に知って、

それ以来この感覚を日常的に意識しながら生活してきたが、

アドラーの言葉を借りれば、「世界が驚くほどシンプルな姿を取り戻した」のである。

 

 

 

 

以前は気に入らないものに反発し、それを見つけるためのアンテナは年中無休稼働だったし、そのようなことばかりが蔓延るこの世界は私が生きるに値しないとも思ったことがあるほどの有様であった。

 

しかし、今では違う。

当時の「気に入らないもの」とは、今考えれば他人の成功や他人からの評価などであり、当然自分では変えられないものである。

 

そんなもの、他人からの評価にいちいち屈する必要はないし、屈する生活は私にとってみればそれは他人のエンターテインメントとしての人生であり、自分の人生を生きているとはとても言えないと思う。

 

また、日本人は他人の意見や見る目を重視する協調型の人間関係を重視する文化があって、ただ、それが私に合わなかっただけの話である。

 

 

 

 

それに、変えられないものに文句を言うとなんだか自分の価値が下がっていく感覚にかられる。

 

 

 

そんなことより、自分を想ってくれる人、今日食べる食事、安全に生きられるこの世界、そして今日飲むワインを愛でながら生きた方がよっぽど楽しそうな気がする。

 

 

 

 

最後に、これは私の体験談であるが、この感覚を身に着けようとしてから対人トラブルが極端に減った。もちろんあちら側がから一方的に仕掛けられればトラブルになってしまうが、それも正直、たいしたことではない。

 

「これは自分じゃどうしようもないから考えても意味ない」という切り捨てや、

「こういう人もいるんだ。昔は私もこうだったのかな。」という、頭ごなしに否定せず相手を受け入れてあげるような思考によって、私の世界はシンプルになった。

 

 

 

それでも解決しないようなことからは、逃げてしまえばいい話である。

世界は広いので、それ一つを諦めたところで死なないし、意外となくても平気だったり、簡単に代用が見つかることだってある。

 

 

結局、私たち自身が勝手に、世界を狭く、複雑なものにしているだけのことである。