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「日常は小説よりも奇なり」

【考察】それでも生きる価値はあるか

自分のやりたいことがあったとして、

 

100人中だいたい80~90人は、何かと理由をつけて諦める。

 

 

 

それは仕事、学校、家族

 

適切な状況判断として悪いことじゃない。

 

 

 

でも結果論で言えば、諦めた。

 

 

 

残りの20人~10人は自分の夢を叶えようと実行に移す。

 

時には大きな壁に当たりながら、時には良い出会いに助けられながら、

 

自分を信じて毎日前進を続ける。

 

 

 

そのうち本当に夢を叶えられるのはせいぜい5人とかだろう。

 

 

 

私は、なりたいものになれないような、そんなつまらない世界に生まれた覚えはない。

 

しかし狭き門であるということは分かっている。

 

 

 

 

 

この確証のない将来で、人々は私に安定を求める。

 

不安定な成功ではなく、安定した諦めを勧める。

 

正直好きなことができないのならそこに生きる意味はあるだろうか。

 

 

 

 

 

きっと私は自分勝手で、家族のため、恋人のためを思っても、

きっと私は生きる意味を見出せず、、

 

 

 

 

近頃、なりたいもの・やりたいことがコロコロ変わる。

 

自分でも結局分からない。

 

周りに合わせるようなことはしたくないので、

「同世代が決めてきているから自分も」

という無駄な焦りはない。

 

「人の前に立ちたい」という軸はあるが、人とかかわるのは嫌いだ。

 

 

 

 

 

もしかしたら自分は規格外な存在で、私に合う職業は未だ誕生していないのではないかと、半ば本気で思うほどである。

 

 

 

 

よく分からない。

 

 

 

 

毎日不安をためながら働く労働者たちの意味が分からない。

 

「そういうものだ」で片づけられたら楽なのだが、

人生を浪費している感覚が恐ろしくて私にはそれができない。

 

 

 

 

 

昔から、仕事はかっこいいもので、夢を叶えるためのツールで、

自己実現の糧だと思っていた。

 

しかし実際にアルバイトとして働ける年齢となり、働いてみると、

そのような価値観が通用しなかった。

つまらなそうに働いて、でも上辺は楽しそうで、

陰で愚痴りあって、

今日のシフトで何が得られたか、疲労のみ。

 

 

 

 

もちろんお金のために働かなければいけない状況もあるだろうが、

そこまでして生きたいのか。

 

行きつく先が恐怖と苦痛なら、どんなにレビューの高いアトラクションでも私は乗らない。

 

金欠で、いずれ餓死する方がずっとましだ。

 

 

 

 

 

よく分からない。

 

人はなぜ生きるのか。

 

人はなぜ自殺を悪とするのか。

 

ただ、少しこの世界で生きるのに合わなかったから逃げただけで、

 

戦略的撤退だろう。

 

 

 

 

 

将来の不安から人間の生死という話題の膨らみが甚だしいが、

 

本当に分からない。

 

 

 

 

 

家族や恋人に会えないのは辛いが、

 

結果遅かれ早かれ失うだろう。

 

またそのたびに、生命の危機に晒される。

 

 

 

 

 

何だか、人間の思考がよく分からない。