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「日常は小説よりも奇なり」

【日常】気持ちの良い晴れ間

窓の上部にはきれいな青色が描かれている。

窓の下部にはきれいな緑色が描かれている。

 

 

これらを見るのはもう数十回目目になるが、今日の日差しを浴びるのは今日が初めてであって、毎度新鮮な心持である。

 

 

私はこれを眺めながら、「この後の時間はどう過ごそうか」とぼんやり考えるのが好きだ。

 

考えるといっても答えを導き出すためのものではなく、なんとなく脳の寂しさを埋めるための、いわば嗜好としての思考だ。

 

更にここに、体を伸ばして大きく欠伸をするというオプションを加えればもう、

それはたちまちヘブンズ・ゲートと姿を変える。

 

 

 

私の大学は今ちょうど遅めのテスト期間、レポート提出期間に入り、今週はプレゼンテーションも控えている。

 

さらに言うと別で数件、仕事の案件も抱えており、

正直なところ最高に多忙な時期である。

 

このように考えなければならないことや、やらなければならないことが今はたくさんあるが、この清々しい天気を前にしては彼らは無力で、

 

作業がはかどり自己肯定感も上がっていく。

 

 

 

最近は天気によってその日のパフォーマンスが変化するこの性格を変えてみようかと試みたが、やっぱり私は何だかんだこの性格が嫌いではなく、中止した。

 

生きている中であと何回、この清々しい晴れ間に出合えるだろうか。

 

あまりこの世には未練を残さないように生きているし、

スティーブ・ジョブズではないが「今日が人生最後の日だったら」

と考えることもある。

悔いなく人生を終えたいものだが、

どうしてももう少し晴れた日を感じたい欲求は生涯つきまとうような気がする。

 

だったらせめて、晴れた気持ちのいい日に、少し昼寝をするように永い眠りにつこう。

 

 

 

まだ学生のうちに老後の死を考えるのはあまりに気が早いような気がするが、

一つの人生の目標としては悪くない。

 

 

 

話は変わるが、晴れ間でたそがれるという行為は明らかに今を生きているわけで、だから私は幸せを感じるのではないかと思う。

 

一応今日この後の予定は考えているが、それは先ほども言った通り実質的にほぼ考えていないに等しい。

 

何よりこの時間は晴れ間を見てぼんやりとする「いま」に着目している。

 

「今を生きている」という感覚が幸せに誘うのかもしれない。

 

 

 

 

しかしできることならば、地元でこれを見たかった。

 

今は一人暮らしで東京で眺めているわけだが、

地元で見るこれは格別だ。

 

私の地元は長野県であるから、何しろまずは空気がうまい。

それに四方を囲む山は穏やかな包容力があり、

囲まれて眠りたくなってくる。

 

 

最近はなんでもそうだ。

結局何かを考えるとその終着駅には長野があって、

とにかく帰りたがっている。

そう、私は故郷に帰りたい。