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「日常は小説よりも奇なり」

【考察】「意識高い系」とは

私は現在、とある都内の大学に通っている。

 

この年頃になれば、

友人の中にはもちろん私と同じく4年制の大学に通う者、

(現在は3年なので年齢的に既卒だが)専門学校に通っていたもの、

また既に社会人として就職している者、

 

数年前まで同じ教室で同じ授業で過ごした仲間が、

今ではそれぞれの道へ歩みを止めない。

 

そんな同級生の動向を探るには、インスタグラムというアプリが最適である。

 

ストーリー機能という15秒ほどの動画が気軽に投稿できる機能では、

毎日毎日友人の近況が嫌でも流れ込んでくる。

 

 

 

ある日、中でもひと際、私の知的好奇心をくすぶるストーリーが眼中に飛び込む。

 

「行動を起こさなければ結果は伴わない。今の収入に満足していますか?

僕も以前は『自分なんかにどうせできない』と考えていました。が、

勇気を出して行動したことにより今ではお金に困ることはありません。

家族や友人に反対されることもありました。でも今では僕に毎日おごりを求めてきます。(笑)

行動しない人は、一生低収入で生涯を終えていきます。

それでいいんですか?

僕と一緒に、人生を変えていきましょう。気になる方はDMへ」

 

DMとはダイレクトメッセージの略だ。

 

 

 

冒頭一文は真理である。お見事な現世考察。

 

だが、後の文はと言えば胡散臭さ近所から漏れ出す実家の夕方のカレーの芳香が如し。

 

 

 

まただいたいこういった彼らの別日のストーリーでは、

ハイブランドの実店舗をめぐり

「たくさん使っちゃった!てへへ!」

「でもお金が幸せに使えるっていいよね!」

である。

 

 

 

私から見るに、いいや多くの人々もそうであろうが、

これを見て羨ましいような眼差しを向けることは少ないだろう。

 

おおかた擬人化自己顕示欲様である。

 

これは私個人の見解であり、予想だが、

多くのお金を稼ぎハイブランドやおいしい食事で満たされる自分と、

自分自身の本来の価値を混同してしまっているのではないだろうか。

 

 

 

私は近頃、こうした彼らの行うビジネスとやらに関心を寄せている。

いいや、別に参加しようというんじゃあない。

 

ビジネスモデルが気になるのである。

 

最近はビジネスや起業、また個人事業といった内容の調査をよく行うが、

(ストーリーには載せていないので意識高い系ではないはずである)

怪しいビジネスは必ずと言っていいほど、ビジネスモデルが明確化されないのだ。

 

 

いつか、どういった仕組みで彼らが収入を得ているのか徹底的に調査してみたい。

 

 

いずれにせよ金額で言えばかなりの額をもらっているようだが、

それに払う「友人の信頼」という対価はあまりに大きいものである。

 

換金できうるものでは到底ない。

 

 

 

彼らの生き様の選択は彼ら自身の問題であるからして否定はしない。

 

 

 

しかしながら、手に入る金額や満たされる自己顕示欲ばかりに目が行き、

支払う対価の重要性が見えていないのではないだろうか。

 

 

 

いないとは思うが、もしこのブログを読んでくださる方の中に思い当たる節がある方がいれば、得るものと失うものの価値判断をし直してはいかがだろうか。