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「日常は小説よりも奇なり」

【考察】結局のところ、夢追う人生ってどうなん?

私はまだ20代で、

多分まだ何者にでもなれる。

 

 

それを分かっているからこそ、いろいろなものを夢見ている。

 

 

例えば、私は将来俳優として演技がしてみたい。

本を出版してみたい。

一つくらいは会社を立ち上げてみたい。

YouTubeで広告収益を得てみたい。

海外(特に英語圏)の方々と仕事がしてみたい。

 

 

試しにパッと思いついたものを5つ挙げたが、

正直なところ、まだまだある。

 

 

 

 

このように私は夢が多くある身なので、

「夢の叶え方」「どうすれば夢は叶うのか」

という命題に対しては日々向き合うこととなる。

 

 

 

 

ここからはこの命題に対する今の私の考えと、

そこから夢を追う人生は本当に幸せなのかを考えていこうと思う。

 

 

 

 

 

早速結論から申し上げると、

成功の秘訣は、努力と這い上がりであると思っている。

 

成功者などの話を聞いていると、そのほとんどがかなりの努力をしている。

また、数々の失敗から這い上がってきている。

 

 

 

俳優であれば「オーディションに何十回も落ちまくった結果今の活躍に繋がっている」なんて話も日常茶飯事レベルだ。

 

また会社の立ち上げで言えば、現在成功している大企業の立ち上げ人は、実はこれまでにいくつか会社を起こしていて、それがことごとく失敗したが、這い上がり続けた結果成功したというケースもよく聞く。

 

 

 

よく才能がどうとか言うが、私は全く重要視していない。

料理で言えば、所詮味の薄いスパイス程度だと思っている。

 

 

 

では努力量の割に飛躍的、天才的に活躍しているいわゆる「才能の塊」をどう説明するか。

 

 

 

努力や這い上がりが報われる時期には個人差があるのではないだろうか。

それが人より早い人が、才能あるとか言われるのではないだろうか。

 

また、英才教育などで見られるように小さいころから半無意識的に努力をしていたケースもあり、「本人にとっては日常動作だが世間一般から見たらそれは努力」みたいなケースも起きうる。

 

つまり努力していることに気が付いていないため、それに挫折することもなく成功に直結するのではないだろうか。

 

 

 

 

 

というかそもそも、なぜ人は「あの人は才能があるから」と言って自分を下げるようなことを言うのか。昨日言ったような、夢を追わないための高度な言い訳の一種だろうか。

 

私から見れば私も、これを読んでくださっているあなたも、アリストテレスも、スティーブ・ジョブズも同じ価値の人間だ。

 

ただ努力によって栄光を手にしただけで、その点努力の姿勢には尊敬するが、ただそれだけで、人間の価値の高低とは繋がらない。

 

 

 

 

 

最後に、結局夢を追う人生とは良いものであると思う。

上記のように私の価値観はあくまで「全員にチャンスがある」というものなので、

掴みたい人々がそれ相応の努力で掴んでいけばいいと思う。

 

それにもしその夢自体はダメだったとしても、

その努力は身になっているので、きっと次の夢でも有利に進められる。

何度も成功を繰り返すような「カリスマ」と呼ばれる人々のシステムはこれだ。

 

 

 

 

それと、これは若者臭いような思考だなと度々思うが、

本気でそう思っているから言わせてほしい。

 

なりたいものになれないような、そんなつまらない世界に生まれた覚えはない。

 

実はこれは、はてなさんの「夢?」という曲の歌詞の一節で、

これを聞いて感動した。ド直球少年漫画のようなストレート。

 

 

 

 

でも本当に、そんなつまらない世界に生まれた覚えはない。