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「日常は小説よりも奇なり」

【考察】人間は驚くほど「やらない言い訳」がうまい

ある日、何か新しいことを始めようとするが、

何かとやらない言い訳をつけて辞めてしまった経験はないだろうか。

 

 

 

 

最近気が付いたのだが、人間は驚くほど言い訳がうまい。

 

 

 

 

「面倒だから」などの分かりやすい言い訳ならともかく、

自分では理にかなった正当な理由だと思い込んでいても実は言い訳だった。

なんてケースもざらにあるように感じる。

 

 

 

 

今日はこの人間の高度な言い訳術を、日常場面での具体例を挙げながら見ていこう。

自分が無意識に諦めてしまっていることに気づき、皆さんが新たなチャレンジに踏み出すための小さなきっかけになれば幸いだ。

 

 

 

 

また、今日挙げるのは先に挙げた「面倒だから」というような単純なものというより、半ば無意識的に使ってしまうような恐ろしい言い訳を挙げる。

 

 

 

 

では早速、私の感じた実話に基づく具体例を挙げていく。

 

 

私はよくビジネス書や成功者、偉人の考え方を学べるような本を読むことが多いが、

そこには、

 

「仕事やその他面倒なことは朝イチで終わらせてしまう」

 

といった内容が書かれたものが多くある。

 

 

 

 

これは実際に私も試してみた結果として効果的であり、朝の方が集中しやすい気がするし(これは人によるだろうが)、何しろ午前中にすべての面倒ごとを終わらせた日の清々しさは他になかなか変えようがないものである。

 

 

 

 

しかし、私はここに一つ落とし穴があることに気が付いてしまった。

 

 

それは、「朝」という限定された時間であり、

簡単に言ってしまえば「仕事=朝やるもの」という自信の固定観念の形成を助長するので、

 

午後にやる仕事が辛くなる。

 

 

 

 

午前中にやる仕事は朝活の成功体験として脳内で処理されるが、

その一方でこの生活を続けた場合、

午後にやる仕事=失敗のように感じてしまう。

 

 

 

 

これは実はそのまま言い訳へと直結し、

「もう午後だし明日やるか」

と、人間の三大欲求がそろそろ交代を余儀なくされそうなほど強い人間の欲求、後回しにしたい欲というものによって繋がっているのである。

 

 

 

 

そしてここで今日一番伝えたいことを言うが、

「仕事や勉強の効率化を図って朝活を始めたつもりが、かえって夜にやらない言い訳を作っていた」というケースに気をつけなければならない。

 

このケースがなぜ「無意識的」と言えるかというと、

「朝にできている」という成功体験で満足してしまうことで無意識に夜やらないことを正当化している、という理屈である。

 

 

 

 

 

ここから少し話題を発展させて、

もし皆さんが今、自分のやりたいこと、また夢があったとして、

何かを言い訳に諦めていないだろうか。

 

 

私はそういった経験があるし、もしかしたら今もそうかもしれない。

 

 

今は毎日やりたいことが変わって、

かつてホールという心理学者が青年期を「疾風怒濤」と表現したように、

まさに疾風怒濤の日々を送っている。

「これがいわゆるモラトリアムか」といつも思う。

 

 

 

 

とにかく、このような高度な言い訳術を自分たちが持っていることを再認識して、一度内省をしてみると、自分の本当にやりたかったことが見えてくるかもしれない。