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「日常は小説よりも奇なり」

「親の偉大さ」について(1)

これをご覧の皆様のご両親は、健在であろうか。

健在か、健在でないかに優劣はない。

しかし、やはり健在に越したことはない。

 

私は近頃、両親の偉大さについて考える。

新たな命を生み出し、必死に育てる役割。

これが誰にでもなる機会が与えられているのであるからまた、面白い。

 

子供の立場からしてみたら、物心ついた時にはもう自分のお世話役であると親の役割を認識し、各々自由形で育っていく。そして、ある時学校教育で親に「ありがとう」という感情を向けることを教えられる。

現在の学校教育に思うところはあるが、この教育はよいものであり、必須とも言えるのではなかろうか。

そうして子供は、親という生き物は愛情の無償提供スポンサーではないことに気が付き始める。もっとも、この教育をもってしても未だそう思う子供たちは多いが。

 

たいていの子供は、だいたい高校卒業後あたりで本当の意味での親のありがたみに気が付くのではないだろうか。ある人は大学へ、専門学校へ、また就職へ、各々の道を歩き出すわけだが、その年にもなるといよいよ親は子に自立を求める。

私が親のありがたみに気が付いたのは大学入学当初、そして最近、入学当初に感じていた感謝よりもより高度な、そして本質的な感謝や尊敬を強く抱いている。

これに至った大きな要因として、私の場合では一人暮らしと読書が大きいだろう。前者は大方想像できるかもしれない。

後者はというと、親子がテーマの小説や、ビジネス書を多く読んだのである。小説を通して親子愛の美徳を感じ、ビジネス書に関しては読み進め自身の可能性を感じることにより、これほどの可能性を育ててくれた両親に心から感謝したのである。

一人暮らしを始めた入学当初のありがたさは今思えば漠然とした感謝であったが、3年生に上がる前の春休みに読書を本格的に始めたことで本質に近づけたような気がする。

読書もまた偉大である。

また、ありがたみは実際に親になってみて初めて気が付くこともあるだろう。

このありがたみに気が付いたとき、まだ同じ世界にに親が生きているのならそれは非常に幸運である。それはきっと、宝くじの高額当選などとは比になるまい。

その場合はぜひ、両親に尽くすのである。

「あなたたちに尽くしたい」

両親にこういうと、気恥ずかしさから冗談で終わってしまうか、

「私たちはあなたが好きなことをして生きる姿を見るのが幸せ」

という回答が返ってきそうである。(当然、家庭によって事情は様々であるので私の家庭のケースであるが、子供が死んだような顔をして生きる姿に幸せを見出す親はそういないのではないか)

この場合、つまりは自分に尽くすことが親に尽くすことになる。

 

明日は続きとして、

自分に尽くすこと、そして親、そして愛の儚さについて書いてみよう。

今日の1000文字は早かった。